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元来の恥ずかしがりを克服するために、童貞でホストになった話(前編)

転職活動を成功させるにあたり、(一部のエンジニア職などを除き)コミュニケーション力が不可欠だが、面接という非日常的な緊張する場で、普段通りのコミュニケーションを行うことは、とても難しい。僕も面接は苦手な方だ。

そもそも、もともと僕は緊張しいというか、かなりの恥ずかしがり屋だった。それでも、今では講演で大人数の前で話すこともあれば、顔が見える少人数のワークショップの講師のような機会もこなすし、また女性との会話も楽しくできるようになっている。振り返ると、このような変化のきっかけは、大学時代にホストで修行したことが影響していると思っている。

赤面症で悩んだ過去

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自分は恥ずかしがりの性格だと、物心ついた時から感じていた。20年以上経った今でも覚えているのは、小学校1年生の時。道徳か何かの授業で「おかあさんといっしょ」という番組を見ていたのだが、番組の終了時にはエンディングソングが流れる。

そして、TVの向こうで子供たちが音楽に合わせて軽快に踊るのだが、僕の周りにいる教室の男子たちも続々と席を立って、教室の後ろで踊り始めるではないか。結局、僕以外のすべての男子がTVの子供たちを真似して軽快に踊っているのだが、いつも僕は恥ずかしくて席を立てなかった。そんなあるとき、隣に座っていた女の子が「あんたは踊らないの?」と詰めてきて、しぶしぶ教室の後ろに行き踊った記憶がある(あれはキツかった…)。エンディングが近かったため実際に踊った時間は10秒くらいだったが。

それ以外でも、女の子と話すときは緊張して顔が赤くなってしまうし、教室で目立つと真っ赤になってしまう。あるときは、ただ恥ずかしかっただけだったのだが、先生に「体調は大丈夫か??」と本気で心配されたこともある(苦笑)。

中学・高校は男子校だったので、女の子と話す機会もほとんどなく、恥ずかしがりも少しは治まってきたと思うが、赤面症であることは相変わらず。というか、正直現在でも治っていない。

ホストデビューへの道のり

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そうこうして浪人の末なんとか大学に進学し、大学初の夏休みを迎え、前半はヨットに明け暮れるも、休みの後半になってくると基本的にやることがない。大学ってこんな感じで良いの?というくらい暇。もはやニートです。ちょっとこの生活は何とかしないとさすがにマズイな…と思い始め、じゃあ何をしようかと考えた結果、そろそろ恥ずかしがりをしっかり克服したいな、と思いように。外部の全く知らない人たちと繋がって、人とコミュニケーションするアルバイトを始めようと思い至った。

バーテンダーの面接

そして、まず良いなと思った仕事は、バーテンダー。バーテンダーは、ドリンクをつくるだけでなく、全く知らないお客さんと会話して楽しんでもらうことが仕事だと思い、これは自分の目的意識にまさに合致していると感じたためだ。バーに行ったことのない自分は、バーとは経営者やキレイな女性など、ハイソサエティの人々が集う場所だと(勝手に)確信していたのだ。

そして、横浜の某バーに面接に行った。そのお店は小規模ではあるものの、高級感があり、良い感じの雰囲気のバーだった。何を聞かれたのかあまり覚えていないが、結果的には、面接不合格。アルバイトの面接って落ちるんだな…(泣)という当たり前の事実を、始めて思い知った。

キャバクラの面接

しかし、このままではニート生活に戻ってしまうので、何とか女性と話せるようになりたい、その環境に身を置きたいと思い、次の応募したのは、キャバクラのボーイ職。時給が2,000円近くと、かなり高かったような記憶がある。

当時、僕はまだ20歳。当然キャバクラなんて行ったことはない。そこで気合を入れてスーツにオールバック姿で面接に臨むが、まだオープン前なので薄暗いにも関わらず、初心者にとってはお店の重厚感がハンパない。面接担当のオジさん(たぶんエラい人)には気に入っていただけたようで、面接途中で「これはイケるのでは…?」と感じたが、面接の終盤の質問、

で、うちは少なくとも週3回は働いてもらわないとダメだよ?

という一言。

正直、夜の時間を週3回費やすのは厳しいと思っていた。週2回、できれば週1回を希望していたので、思い悩んだ結果、「申し訳ございません、大学の都合上、週3回は難しいです…」と丁重にお断りし、差し出されたウーロン茶を一気飲みして面接の場を後にした。

いざホストクラブへ

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せっかく面接に呼んでもらったのに、こちらからお断りするという申し訳なさと、結局ニート生活が続いてしまうという自分への不甲斐なさを感じたものだ。一方で、キャバクラのような、まだ自分が知らない世界、いわゆる夜の世界に興味が湧いていた。

そこで、コンビニの雑誌を立ち読みしてみると、ホストのお店とイケメンたちがたくさん掲載されている雑誌があるではないか。今から振り返ると、2005年当時はホスト全盛期。僕はTVをほとんど見ないが、当時はメディアでも脚光を浴び始めていた(詳しい方はご存知かと思いますが、ロマンスの陽生さんや、愛本店の城咲仁さんなどがカリスマホストとして有名だった)。

しかも、そのホスト雑誌をよく見ると、

こんなブサメンの肩書きが主任?…ん??こっちの中身が薄っぺらそうな男は、常務取締役って書いてあるぞ…?

と思うや否や、

これは、もしやオレでもイケるんじゃね…?

と直感してしまったのだ。そして、その雑誌を購入し、応募するお店を探し始めました。基準は、

  • 新しくオープンしたお店(スタッフ同士の関係が比較的フラットだと思ったため)
  • 多くのお客さんが来店しそう(チャンスが多いに越したことはない)
  • あまり大規模ではない(他のスタッフとの競争に勝てないといけない)

という3点。

結果、新宿歌舞伎町の某C社に応募することにし、雑誌に記載されていた番号に電話し面接日時が決まった。

ホストの面接

面接は、Hydeに似たイケメンのお兄さん(肩書き:統括)が担当し、少し会話しお店のシステムを説明してもらった後、「よし、じゃあ頑張って稼げよ!」と言われ、翌日からそのホストクラブで働くことになった。

ちなみに、基本的にホストクラブでは源氏名を決めるが、勝手に決めてくれるものだと思っていたらそうではないらしく、その場の思いつきで決めてしまった(カッコ良い友達の名前の、漢字書き換えバージョン)。

ちなみに、この時僕は童貞です。高校で一瞬彼女がいたものの、深い関係にはならず、結局童貞のまま大学進学に至る、という状況でした。当時は、童貞とか関係ないっしょ!という勢いだった。

そして、結果的に、ホストでは週3〜4日、約7か月間働くことになったのだ。

 

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