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Beach Boysのキャリア論 〜親愛なるK先輩へ〜

ビーチボーイズというドラマをご存知だろうか。1997年に放送された、反町隆史と竹野内豊が主演の、言わずと知れた夏の月9の名作である。各界に多大な影響を与え、多くの信者が「広海」と「海都」の生き方に熱狂したが、何を隠そう、自分もその1人である。(以下、ネタバレあり)



    どのくらい影響を受けたかと言うと、12話まである同作をこれまでに4回程見ているので、自分の人生を丸2日間つぎ込んでいる位だ。それだけではなく、大学ではビーチボーイズを意識していた訳ではないものの、結果的にヨットを4年間続け、年間100日は海で過ごすことになった。さらに、新卒でNPOに就職するという謎の行動をとるに至る(しかもすぐ辞める…)。


最近、改めて12時間を投資して、ドラマをYoutubeで見たわけだが、見たくなったのには理由がある。自分が転職を支援させて頂いた「K先輩」と海都が重なったからだ。


海都は、元々エリート商社マンであったが、仕事のミスをきっかけに、休暇をとるため民宿「ダイヤモンドヘッド」で短い夏休みを過ごした。その後仕事に復帰して自身がリードするPJのコンペを獲得したものの、思うところがあり退職し、本格的な「夏休み」をダイヤモンドヘッドで過ごすことに決めた。


一方でK先輩は、大学卒業後、大手外資系コンサルファームに入社し、数年を経て、学生の頃からやりたかったブランディングのスペシャリストになるため、転職活動を開始した。紆余曲折はあったものの、結果的には僕のクライアントである某ブランドコンサルファームに転職された。未経験でありポテンシャル採用という側面も多分にあったため、年収は約半分になっての転職だった。

後から内情を把握したのだが、そのクライアントは強烈なトップダウンの組織で、社長が絶対的な存在であり、離職率も低くなかったようだ。もちろん、スキルや実績は国内外から高く評価されている実力者であることは確かだが、K先輩としても、トップからの強烈なプレッシャーに体調を崩し、精神的にも参ってしまい、近々退社されることが決まっている。その後は、すぐにどこかに転職するのではなく、しばらく地元に帰って、しっかりリフレッシュしてから東京に戻ると聞いている。


海都が退職するに至った心境を読み解くにあたって、『ハーバード流キャリアチェンジ術』の内容が示唆深い。同書では、「分析して計画を立てて行動しする従来の手法の限界を示し、”試し学ぶ”課程を繰り返すことによって、アイデンティティの修正を伴う本当に満足できるキャリアチェンジが達成される」という点を指摘している。海都は有給休暇を取得してダイヤモンドヘッドに「客」として生活し、そこで広海という自身とまったく違うタイプ・生き方をする男と出会う。その後、復帰して仕事で成功したにも関わらず、海都がなぜ退職してまでダイヤモンドヘッドに「夏休み」を過ごすことにしたのかは、彼自身もずっと説明できていなかったが、最終話で広海に次のように語っている。

俺が何でここに来たか分かる?俺はさ、アンタを見ていようと思ってここに来たんだよ。
アンタと出会ってさ、何があっても「いいじゃん夏なんだから」とか言って、「あーこういうヤツも世の中にいるんだなー」と思ってさ。 悔しかったんだよ、俺はすごい。アンタ見てて。アンタはさ、俺の知らない人生知ってるような気がしてさ。だから、俺もね、俺も経験してやろうと思ってさ。
正直言うと、すっごい怖かったよ、俺。だって全部ゼロになっちゃうんだからさ。
でも、今だから言えるんだけどさ、それはそれで良かったなと思っているよ。 
もう何があっても怖くないし。いつだってゼロからやり直せる自信はあるからさ、俺。


アイデンティティの修正とは、必ず葛藤が伴うものだ。自己のこれまでの価値観・生き方を変容させるものだからだ。日々の仕事の中で、気づかないけれどなんとなくモヤモヤしていた想いが、広海やダイヤモンドヘッドの人々と出会ったことで、色々な気づきを得て、少しずつ顕在化してきた。「アンタを見ていようと思った」のは、自分1人では抜け出せない迷路にいるなかで、広海を「明かり」のような存在だと感じたからではないだろうか。


K先輩、広海が「夏休みは、自分が終わりだと決めるまで終わらない」と言っていましたよ。今回の転職が、K先輩の人生にとってプラスだったのか、直接聞く勇気はまだありません。「夏休み」を使ってゆっくり振り返ってみて、この会社での経験がこれからのK先輩の人生にどう影響するのか、またいつか教えてください。