AIによって「遊び」は「仕事」になるのか?その論理を繋げてみた
巷では、
「今後、AIは人間の仕事を代替していき、仕事はどんどんなくなっていく。これからは、遊びが仕事になるのだ」
という言説がまことしやかに囁かれている。
こういった主張に対して、
「いやいや、さすがにそんなことは起こり得ないよ。みんなが遊びだしたら、社会が回っていかないよ」
という典型的な反論がある。
どちらも、一見正しいように見えるが、実際のところ、どちらがより確からしい未来を表現しているのだろうか。
今回は「遊びが仕事になる」という主張を、自分なりに噛み砕いて整理してみようと思う。
結論から言えば、「風が吹けば桶屋が儲かる」とまではいかないが、それくらいの論理展開の粒度で、「今後は、遊びが仕事になる」と言えそうだと、僕は考えている。
AIが代替するタスク
まず、現状の社会システムにAI(人工知能)が浸透していくことは、不可逆であろう。
AIとは何かという議論は尽きないが、ここでは「機械による知的な情報処理」と端的に定義しておこう。
AIは難しく捉えられがちだが、身近にあるもので言えば、自動販売機はAIの先駆けだと言えるだろう。人間がお金を投入し、商品を選択する行動に対して、商品を送り出すという処理が行われている。
同様に、自動改札機もAIの一部だと言えそうだ。乗客の切符や電子マネーのデータを読み取り、降車駅で精算処理を行う。「機械による知的な情報処理」が、日常生活で行われている事例だ。
これらのタスクは、以前は人間が行う仕事だったが、今は機械に代替されている。あるいは、地方に行けば、駅員さんが手で切符を切っているが、都内ではそういった光景は見られない。
別の事例では、コンビニのアルバイトが象徴的だ。従来は当然のように日本人が働いていたが、都内では日本人以外のアジア系のアルバイトのかたが圧倒的に多い。
もちろん全体的な労働力不足という別の問題はあるが、ポイントは日本人の仕事が海外の(時給単価が安い)人に代替されているという点にある。
そして、ゆくゆくはamazonの小売店舗や中国の一部の店舗のように、店員不在の小売店が増えることも十分予想できる。
AIはコモディティの対象を拡大させる
ここまでの話をまとめると、日本人の仕事が、どんどん機械や海外人材に置き換えられているということだ。
これは何を意味するだろうか?
すなわち、コモディティ化した仕事は、機械にリプレースされていく、ということだと僕は考える。なお、コモディティとは「一般化したため、差別化が困難となった製品やサービス」を指している。
もっと言えば、AIはコモディティの対象を急拡大させている。従来は、機械が単純作業をリプレースしてきた背景があったが、AIは複雑な情報処理業務もリプレースしていく。テキスト情報だけでなく、画像認識や音声認識系のタスクも、AIが機械学習することを通じて処理し始めているのが現状だ。
AIが代替できないもの - 「人間らしさ」と「エモーショナルな何か」
「コモディティ化した仕事は、機械にリプレースされていく」、そして「コモディティの対象は拡大していく」ということが正だとすると、今度は「コモディティでない仕事とは何か?」という問いが生まれてくる。
これにはいくつかの観点があるだろうが、僕はコモディティではないと言えそうな共通項として、
・人間的(その人らしさ)
・感情的(エモーショナルな何か)
という点が挙げられると思う。
人間的とは、(少なくとも従来の)機械には感じられなかった、親しみやすさ、繊細さ、受け手の意図をくみ取ったレスポンス、個別具体性といった点が思い浮かぶ。
そして、「感情的」という点に注目してみよう。感情とは、喜怒哀楽を指している。その中でも、喜(喜び)と楽(楽しみ)は、人間にとって好ましい感情だ。逆に、怒(怒り)と哀(哀しみ)は、あまり積極的に摂取したい感情ではない(当たり前体操)。
すなわち、「喜び」と「楽しみ」を提供するサービスはAIに代替されづらく、サービスの受け手がお金を払ってでも得たい体験であり、今後ビジネスのポテンシャルが高いと言えるのではないだろうか。
それらは、一般的に「エンターテイメント」と言われている。
これらをまとめると、その人らしさが見てとれるエンターテイメントの提供は、機械に代替されづらく、サービスの受け手にとって価値が感じられ、お金を支払う対象となり得る。
そして、このようなエンターテイメントとは、もはや遊びと仕事という概念の垣根がきわめて曖昧になってくるのではないだろうか?
たとえば、お寿司が大好きで、趣味で自分のブログに食レポを載せ続けていた人がいる。この人は、年間100日もさまざまな寿司屋に通うくらいの寿司マニアなので、売れている店とそうでない店の違いが何であるのか、なぜお客さんが途絶えないのか、といった情報が、寿司屋の店主よりも情報通になってくる。
その結果、ある寿司屋から、経営コンサルティングの仕事の依頼を受けたという事例がある。
このように、サービスや製品の消費もするし、一方で誰に何かの価値を提供する、いわゆる「プロシューマー」がますます増えてくることは想像に難くない。このようなプロシューマーにとっては、もはや遊び=仕事だと言えるのではないだろうか。
まとめ - 「遊び」は「仕事」になる
AIによって「遊び」は「仕事」になるのか、という問いについて論じてきた。まとめると、以下のとおりだ。
- コモディティな仕事は、機械にリプレースされる
- AIは、コモディティの対象を拡大させる
- コモディティでないものとは、人間的、感情的な何か
- 感情、特に喜びと楽しみを提供するサービス(エンターテイメント領域)は、ビジネスのポテンシャルが高い
- その人らしさが見てとれるエンターテイメントの提供者は、もはや自身が遊びをしていると言える(=プロシューマー)
- プロシューマーにとっては、「遊び」は「仕事」になる
AIが日常生活だけでなく、仕事の領域にも普及した世界観では、時間軸はさておき、人間の仕事は、本当に「遊び」になるのだろうと思う。
なお、「仕事」が「遊び」になるまでの移行期間は、遊びと同時に仕事もしなければならない。IT・Web領域のポジションでキャリアアップを検討している人にとっては、ギークリー社が実績を出していることで有名だ。
エグゼクティブクラスの案件も多数保有しているため、若手の方だけでなく40代以降のシニア層の方にもフィットする案件に出会えるだろう。